ハーブとの出会い 最終章 前編

 それははるか15年ほど前のこと。 

生まれ育った川崎から引っ越し、生活ががらりと変わった頃でした。

 ケーブルテレビで観ていたマーサスチュワートリビングというライフスタイル番組の影響で、『豊かなライフスタイル』に憧れを抱きました。 

 番組の中で提案されている憧れの暮らしを目指しながら静かに思いました。 

自分なりのライフスタイルが構築できた暁には、その経験を活かしフラワーも含めたたライフスタイルのご提案を仕事にできたらいいな。

当時、そんな淡い夢がひっそりと芽生えたのでした。 

 それと同時に、フローリストとして生きる花を使ったアートデサインという職に少々疑問を持ち始めたのもちょうどその頃でした。 

 アレルギー体質をもつ私。 大好きな花に本来癒されるはずが、逆にストレス要因となっている現実がそろそろ限界に達し、うまく受け入れられずにいたのです。


 フローリストとしてひと段落し、当たり前のようにそれでも当たり前のようにブライダルフラワーのデザインのトレーニングでもしようかと、いつものように忙しくしていたころには、その疲労はピークを迎えていました。 

高熱が続き、ある日顔にポツッと発疹が出来ると。その発疹はあっという間に拡がり顔面が膿で埋もれてゆきました。 

 自分の顔を見るのが怖くて。そして触れると激しく痛いものだから、涙さえも出せなかった。 

 どれだけ疲弊しきっていたのかを、そのとき思い知ったのです。 

 繰り返すその症状に、ベッドで横になりながら、フラワーデザインの職とそれに関わる自分にも、なにかモヤモヤと潜在するものがずっとあったことに気づけたのもその時でした。 

 もともと、アートセンスなど自分にあるとは思っていなかった。 

美術の成績は贔屓目に見ても中の中?これといって秀でたものなどなかった。 

 全くといっていいほど実は自信などなかったのです。 

 ただ、花が好き、植物が好き。 そんな一心で邁進していただけのフローリスト時代を今なら素直に認めることもできる。 

 デサインの過程で枝葉を切り刻む手元には、いつしか憎しみさえも込められるときがあった。 

 センスよく器用にデサインする同僚に、酷く嫉妬していたことも度々あった。 

 辛かった… 大好きな植物を恨んだときもありました。 


 植物はただ、精一杯咲いて生きているだけで、何も悪くなんかないのに…。 


 そんな風に思う自分が嫌いで、そして可愛そうだった。 

 自分が嫌いになりそうだった。 

それでも、そんなときの癒しこそ、やっぱり私にとっては植物だったのです。 


 ふらりと訪れる横浜の町並み。 

 森と花と海と。 

 港を彩る植物は本当に美しく、いくら歩いていても疲れなかったし、どれだけ眺めていても飽きなかった。 

 時には自転車で坂道を駆け抜け頬に受ける風うを感じ、季節の植物の香りが鼻を突き抜けるあの感覚は今でも忘れない。 

 港の見える景色のよい公園に腰を下ろし、大地に根を張り空に向かってそびえ立つ木々の姿を見ながら、

向かう先が見えなくてあの頃は本当に苦しくて、風に揺れるわずかなざわめきに大粒の涙をたくさん流したこともありました。

いつも寄り添ってくれていた。

植物は私にとって戦友のようなもの。

 時には傷つけ合い、 時にはその傷を癒し合いながらも、 

同じ時代を生き抜き 尊重し成長し合う、同志のようなものでした。 


 どれだけ傷つけられても、

それでも、

そのぶんだけ癒してくれていたのが植物でした。 


 やっぱり、植物から離れることなどできない。 

そんな植物のいのちを丸ごと愛したい…


 憎しみはいつしか慈しみとして緩やかに変化してゆき。 

 そんなきっかけで、フラワーデサイナーとしての職の熱はいつしか一気に覚めていったのでした。 

 でも、ちっとも寂しくなかった。 

 植物との関係にきちんと折り合いをつけることができたから。 

 花を初めとする植物との関わりのなかで、培った僅かながらの現場の仕事。

それに加え空間デザインやコーディネートの勉強もぼちぼち始め、私は動き始めたのでした。 

 プライベートで訪れたアメリカやフランスで参考となりそうな写真集を買い漁り、

ちょっぴり異国のものを取り入れたりしながら、レストランウエディングのフラワープロデュースを数組ではありますが経験もさせていただきました。 

その時はそれなりの達成感がありました。 

 しかしその頃の私は、見た目だけに惹かれ、ただやみくもに

【美しい】【可愛い】【機能美】を追及していただけで、

今思えば【本質的な豊かさ】を全く理解できていなかった。 


 植物の季節感や繊細さだけではなく、もっとその奥にある大切なものに気づけたのはもっともっと後になるのです。 

とりあえず飛び込んでみたアロマテラピーの世界。

 大手アロマテラピースクールでクラフトと座学のクラスに参加。 

 周りはセレブリティーな生徒さんと、高貴な空間に包まれていました。

 決して悪い気はしなかった。 香りの世界って素敵だな… 

そんな憧れのような気持ちで始めたものでした。 

 当時は、ただ知識と経験が欲しくてあれこれ実生活に取り入れながら

少しずつ理解を深めていました。 

 知識が増えるとそれなりに自信というカタチで自分に還ってくるものがあった。 

次第に楽しさを知ってどんどんハマってゆくのでした。 


 がしかし。 どうもこれだけではしっくりこない。 

 薄っぺらい私が居るのです。 


 アロマテラピーだけでは何かが足りない。

 香りだけでは植物は成立しない。 

 いい部分も悪い部分も含めて植物なのだ、と。 


そう、それは人間も同じ。 

 すべてを丸ごと認めるということ。 

 でもまだこの時点でも、私は何もわかっていなかった。


 まだ、知識が圧倒的に足りないのか・・・。 もっと知識を深めれば辿り着けるのか?

そう思い、フィトセラピー(植物療法)、ハーブセラピーという植物全体の視点で 

ただやみくもに書籍を読み、必死になって勉強を進ませ、ただ頭に詰め込んでいきました。 


その知識の風船は膨らんでも、心の中はまだまだ満たされない。 

これでは 進むべきベクトルが決まらない。 


 地図もない、羅針盤もない中で 膨らんだ風船はこの先どこをさまようのだろう? 

 やってもやっても、ただ虚しさだけがそこにあった。 


 知識は増えても、生きるための知識としてその経験が足りないこと。

実体験に基づいて活用しきれていないことにようやく私は気づいた。

 頭でっかちになりすぎて、実践につながらないなんて何の意味も成さない! 

 自分への苛立ちと限界を感じ始めたそのとき。 思うのでした。 


 いったいこれは誰に向けてやってきたの? 

誰かに評価されたくてやってきたの? 

 誰か、誰か、誰か…  


植物は好きだけど、教科書通りの効能を伝えるだけじゃ

心から自分が愉しんでいなかったことにようやく気付けたのです。 

 シンプルにそう思った。 


 どうすれば夢中になれるのか。 

自分の熱を感じたい…。 

 そして、 夢中になれる「物事の本質探しの旅」がはじまったのでした。 

 全く違うことをしてみよう。 

 私には、何があるのだろう。 

私には、何ができるだろう。 


 私のなかにあるものを総ざらい、棚卸しをしたのがちょうど今から7~8年ほど前。 

 私の今の原点。 

 「丁寧な暮らし」 自分の暮らしを見直す日々がここから始まるのでした。 


 …つづく…

                               2015/4/20 アメブロより再投稿


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