「個」を大切にするあ~ゆる
ご訪問いただきありがとうございます。
あ~ゆる暮らし・ライフスタイルアドバイザーyuikaです。
Blogをアメブロよりこちらにお引越ししてから投稿をサボっておりましたので、
また少しずつ日常の思うことや出来事などをこちらをベースに書き綴ってゆきたいと思います。
↑この黄色いキャリーケース(通称キャサリン)は私の活動には欠かすことのできない相棒。数年ぶりの出動に、彼女も浮足立っているように見えました。
↑それ、間違いなく私のほうでしょ💦
この黄色い憎いやつ(愛を込めて)は雨の日も風の日も苦楽を共にしてきましたので、傷だらけになっても度重なる引っ越し時の仕分けにおいてもどうしても手放すことができませんでした。こうして活動再開できる日がまるで決まっていたかのようでこの日は本当に嬉しかったです。
さあ、これからバンバン活躍してもらいますわよ、キャサリン‼
っと、余談はさておき。
今月は二週に渡り新しい試みである初のオリジナルハンドメイドの販売をしました。多くの方と触れ合いお話ができ、また実際に手に取ったりお買い上げくださり本当に嬉しくて楽しかったです。改めて足をお運びくださった皆様には深くお礼を申し上げます、ありがとうございました。
たくさんの気づきと学びがあり、本当に貴重な経験となりました。
いちからアイテム企画、素材や容器、ラベルデザインまで考案し、PR資料も揃えながら自身でVMDも考えながらの販売、一人ですべて行う大変さや難しさを痛切に感じましたし、重責がありながらもやはり私は自分が仕掛けたり考え行動することが本当に好きなんだということがわかりました。時々バランスを崩しながらも、やめることなくチャレンジし続けるという、そんな生き方が私らしいと心底実感したわけです。
なぜかというと、私は人一倍負けず嫌いでわがままだから?
この卑しくも醜い性格を、自身で認めるまでに何十年もかかりました。(笑)
学生時代も、社会に出ても今までの私は、『いいひと』でいよう。言い争いや災いをもたらすのは嫌だし。そう思ってどこか聞き分けが良くて自分の意志をちょっとずつ曲げて生きてきました。きっとこの人は私に対してこう在ってほしいと望んでいるに違いない。っと勝手に思い込んで…。
いい娘、いい彼女、いい先輩、いい部下、いい妻、いい嫁、いい友達…
様々な立場がありました。
それまで、その場面や立場に合わせた私が思い描くベストを尽くす生き方。
そう、完全なる他人軸で生きていました。
多分それでもそこそこうまくやってきたし、それなり好評価をもらってきたと思って生きてきました。仮に一般的に平均点以上の人生に見えたとしてもなぜか満たされていない。疲れる。
そりゃそうですよね。他者からの視線を意識しすぎて、自分が主役の人生を生きてこなかったのですから。ひとりになるとどれが本当の自分なのかわからなくなって迷い苦しむ日々に心が病んだことも度々ありました。演じ分けるのも慣れれば大したこともないと思ってきたけれど、本来の自分を認めようとすると正常であるはずの精神は突如として破たんします。
でも。本当は評価されていたかといえば、どうなんでしょうね。
ひょっとしたら単なる独りよがりだったかもしれませんね。そう思うとなんてばかばかしいことをやってきたのだろうと自分でも呆れ返る話です。
そんな頃に、私はアーユルヴェーダと出会い学びを進めながら紆余曲折しつつ、今では特に大切にしたい関係間では好き勝手までは無理でも思ったことを徐々に言える自分軸に変化しました。また反対に、もし相手に鋭い真理を突かれても、昔はただ頭にきて向き合うことすらできなかったけれど、今なら本気で意見してくれる人に対し感謝すら感じます。気づかせてくれてありがとう、としっかりと受け止め、自分を顧みる謙虚さを持てるようにもなれました。これもまた自分軸の捉え方。
本心でぶつかってくる勇気こそが対人(人以外のものにでも)への誠意だったり想いやりだし、結果自分を大切にすることに繋がるのだとも思うのです。
そして続けて、どんな時に私は『いいひと』で在ろうと感じてしまうのかを突き詰めたとき。
私は、自分が生きていて喜びを感じるときはどんな時かをじっくりと考えました。
その答えはそう簡単には出るはずもなく、さまざまな立場、境遇において立ち止まって考え、徐々にそれは削ぎ落されてゆきました。そして残ったものが心から感じられる喜びでした。
心から感じられる喜びとは…。
アーユルヴェーダと出会って、今までの自分の生き方や考え方を振り返ったとき、本当に人生観を考えさせられましたし、その後の意志も生き方すらも実際変わってゆきました。
インド哲学は宗教に関わる儀式的部分が多分にありますが、冷静な目線で真理を追究すれば人間の原理原則を説いている部分をたくさん見つけることができ現代にも通用すると思われます。 その一部であるアーユルヴェーダはまさに生命の科学。
外界との関係が自分の意識に影響をダイレクトに受けるので、注意を払って選ぶことがとても大切だということ。それは人間関係であったり、体内に入る飲食物や薬剤であったり、身に着けたり塗布するもの、身を置く環境であったりそれは様々。また、やがてそれらが影響し習慣化することであなたの「心」を作ることもあるということ。
最近ではアーユルヴェーダを始めとする精神世界が注目を浴びていますが、ボディケアのアーユルヴェーダだけでなく、理論的にも注目されつつあります。これからはもっと「個」に意識を向けて、目に見えないものへの価値を見出し、磨いていくことが大切になってくるので、アーユルヴェーダの考え方はとっても役立つ部分があるのでは、と感じてなりません。
人は本来ひとりで生まれ、ひとりで死を迎えます。
家族が居ても連れ添うパートナーが仮に一緒に居たとしても、個々が自立した人間が前提の集合が最強であるということ、本来単一で生きられるくらいの精神を持って生まれてくるもの。
私たちは現代の依存心や欲に溢れた日常に身を置いているので、なかなか気づけないし自ら一人になれる場を用意しないと実感することができません。
また、内観が大切と言われていますが、瞑想やヒーリングスタイルもカタチは様々。カタチにばかり囚われていて肝心な無になる世界を知らずにいる風潮が多いようにも思います。その方法は人に聞いたり真似して行えるようになるものではなく、あくまでもその情報は参考ぐらいに留め、トライアンドエラーを繰り返しながら自分の感覚を頼りに感じとって見つけてゆくものなのかもしれませんね。
私はそれを「あ~ゆる」と名付けました。
「あ~ゆる」とは自分らしさ。どこまでも自由で、ひとりひとりが自立した一個人の思想。実は「わがままな自分」でいてよいのです。そのわがままさを受け入れながらも対人には謙虚心をもって接する。
…難しいですね。
でも、外界(対人)との接触は自我を知ることができる大切なチャンス。
自分が何者でどんな感情を持っているのかを気づかせてくれる存在だから。(これが人は一人では生きられないという意味にも繋がります)
あ~ゆると自分で名付けておきながら、発信が滞っておりました。これからの私の活動において、このような内面的なお話ももっとできる機会を増やしてゆけたらと思います。
例えば。
私の朝散歩(本当は朝RUNしたい)の道中にあるこの「止まれ」に向き合うときが、私にとってひとつの心と向き合う瞬間です。
朝の真っ白な頭で毎回通る道中にあるこの「止まれ」の字ずらを見ると、「今の自分よ、止まって今一度よく考えよ」という感覚が生まれます。そのあと歩きながら今取り掛かっていることや、考えていることが本心に沿っているのか、遂行してよいものなのかを再確認するためのトリガーとして非常に役立っています。そう、焦らずにひと呼吸置くような感覚。
そういう意味では、これが私なりの「あ~ゆる」です。
そのちょっとした時間を持つことで反省や改善に繋がり、物事が良い方向へと世界線が変わる瞬間なのかもしれません。
人生は選択の連続。その選択法によって人生はよい方向へと如何様にでも変えることは可能なのですから。
最後に。私が生きてて喜びを感じるときはどんな時か?
それは…心からの「ありがとう」が聴けたとき。でしょうか。 改めて書くととっても恥ずかしいのですが。(笑)
私は20年以上販売職に就いていましたが、扱うものや場所は違えどたくさんの方と店頭やサロンでお話し、要望を伺ってその方のお望みに応えられたときの「ありがとう」が本当にうれしかったという体感をしてきました。
ある時は私がデザインした花束や、ブーケ、アレンジメントをお渡しした時の依頼者の笑顔とセットでの「ありがとう」もあれば、またある時はアロマ会社の販売員時代にお探しの精油やハーブティーを見つけてお勧めし、それが喜ばれたときの「ありがとう」。個人セッションでお悩みを伺い、対策法を一緒に考え、一緒にそれを見つけた時のそれまでの曇ったお顔に光が差したときの「それぜひともやってみます、ありがとうございます」のお言葉だったり…。
その想いはなぜか伝播され、私の中にも幸せに満ち溢れ「ありがとう」の喜びでいっぱいになるのです。
偽りの「いい人」を演じていた頃の私が聴いたそのありがとうとは何十倍も違う喜びです。
本当の喜びのベクトルがはっきりとしてしまったとき、人はもう自分に嘘はつけなくなってしまうのですね。真剣だからこそ伝わる喜び。やっぱり自分らしく在るときが本当の喜びを体感できるのです。
これが究極のアーユルヴェーダ。あなたは幸せになるために生まれてきたのですから。
私は公私ともにそんなありがとうで溢れる人生を生きたい。敢えて言えば自分軸で共存しながら生きる。
難しい試みですが、トライしたい、トライし続けたいですね。
そのために、私にはあ~ゆるがある。私は一生「あ~ゆる」を続けたいし、お伝えしてゆきたいと思っています。
なーんて、ちょっと熱くなってしまいましたが、今の私の本音がここにあります。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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