真の健康と幸せとは
【私の健康観・幸福観について】
私はアーユルヴェーダに17年間関わりながら、「健康」と「幸せ」について学び、実践し、発信してきました。その道のりには震災やコロナ、親の介護と死別、移住といった多くの経験があり、自身の健康観や幸福観にも変遷がありました。
多様な価値観に触れる中で、私は「多面的な視点」や「俯瞰する力」を養ってきました。変化は自然なことであり、立ち止まることなく流れる時間の中で、私たちは柔軟に在り方を変えていく必要があると感じています。
【祖母と母の対極的な健康観】
私の原点は幼少期に遡ります。糖尿病でほぼ全盲だった祖母は、辛い状況にありながらも、自らの人生を楽しそうに語り、愛する人への想いを幸せそうに話していました。その姿に、私は「病気=不幸」ではないと感じました。
一方、母は祖母の姿を憂い、「予防」を軸に、決して同じ道は辿るまいと生きていました。同じ「幸せ」を求めながらも、異なる方向性と葛藤の中で対立し、和解しないまま死別しました。
二人にとって本当の意味で望んだ健康で¥と幸せな人生だったのでしょうか
この両極の在り方は、私に「健康」と「幸せ」の本質を考える問いを未だ投げかけ続けています。
【現代の健康論争と私の視点】
近年では、SNS上で健康や食に関する「正義」が語られ、共感や批判が飛び交い、時には対立が生じます。それを見ていると、かつての母の姿が重なり、心が痛みます。
私自身、糖尿病家系に生まれ、食の重要性は深く理解しています。しかし、知識だけでは解決できないこと、健康や幸せには一つの「正解」がないことも、今は理解しています。
【「対極」を知ることの大切さ】
牛乳を例にとっても、「安全」「危険」「必要」「不要」といった情報は多様で、視点によって答えが変わるものです。
本当に向き合うべきは、情報の真偽ではなく、それに憤りを感じる自分自身の内側にある「何か」かもしれません。
視点が増えることで、人は柔らかくなり、対立ではなく共感と理解が生まれる。その「豊かさ」こそが、本当の意味での健康や幸せに繋がるのだと、今は思います。
【ようやく見えてきたこと】
50余年生きてきて、ようやく私なりの答えが見えてきました。
健康とは「こうあるべき」ではなく、自分らしく生きること
幸せとは「状態」ではなく「在り方」
正義を主張するより、対極の意見にも共感する姿勢が尊い
多様な価値観を受け入れられることが、真の「豊かさ」
祖母は「どう在りたいか」を知っていた。
母は「こうあるべき」に囚われすぎていた。
私の人生は、その二人から受け取ったテーマへの探求の旅。
だからこそ今、心から言えるのです。
価値観が増えることは、人生をより健康的で、より幸せにするということ。
そんな公平でやさしい考え方もあるってこと。
賛否あるかもしれない。
それでもいい、この考え方を受け取り共感してくれたとしたら
活動意義があると思っています。
アーユルヴェーダってそういうことじゃないでしょ?
そう思われる方もいらっしゃるかもしれません。
でも私は身近の愛する人の残してくれた大切なヒントを無視して
生きていくことはできないと思ったから。
大きく価値観を変えた独自の発信をしています。
知ったうえで、私は何を選ぶか
それは一人一人違ってよくて
そこに正負、優劣をつけるような陳腐なことはしたくない。
そんなある意味ちっぽけな抵抗であり、公平であろうとする視点があるんだということ。
そrrを伝えるために私はアーユルヴェーダと出会ってしまった。
アーユルヴェーダを学び続け、伝え続けたいと思うのです。
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