石を拾う女
— 無意識に集めるお守り
誰もが、なぜだか手に取ってしまうものがあると思います
私にとって、それのひとつが「石」です
宝石や天然石ももちろん好きですが、
私の場合は「石」という存在そのものに惹かれます
思い返せば、子供の頃からよく石を拾っては母に叱られていた気がします
その拾った石たちは、大きなものもあり、飼っていた亀やカエルのトロ船に入れて遊んだりもしていました
時は流れ、大人になった今も、旅先や自然の中で「手のひらサイズで、何となく離れがたい」石を見つけると、そっと手ぬぐいに忍ばせて持ち帰る習慣が続いています
私は、鉱物や石にはその土地の時間や記憶が宿っていると考えています
もしかすると私は、その瞬間との共鳴を無意識に感じ取り、引き寄せているのかもしれません
選ぶ石にどんな記憶があるのかを正確に理解しているわけではありませんが、
「何となく安心する」「心地よい」という感覚を頼りに選んでいます。
また、選んだ石はその日の自分の気分や状態を映す鏡にもなるようで、
後からその瞬間の気持ちを振り返り、気づきを得ることもあります。
持ち帰った石は一つひとつ分けることなく、こんもりと盛って森のように飾っています
今気づいたのですが、それはまるで私自身を守るお守りのような存在になっていました
本来、お守りとは誰かが作るものではなく、私たち自身が自然や宇宙とのつながりの中で生み出すものなのかもしれません
私の時間と記憶が石のそれと溶け合い、私にしかわからない価値を生み出す
物の価値や美しさは、世の中の枠に収まるものだけではないのだから
かつてグランドキャニオンを訪れた時も
フランスの石畳や城跡を訪れた時も
スリランカのインド洋を眺め岸壁を歩いた時も
私は自然と無意識に溶け合いながら、自分の生きてきた人生とその土地の記憶を重ね
知らず知らずに自分のルーツのようなものを探す旅をしながら
五感を満たす方法を身につけていたのだと
そして今思うのです。
私たちは、訪れる場所はすでに決まっていて、そこで出会った石は、その土地の記憶と私の軌跡が共鳴したもの
だからこそ、それは私を守り続ける“守り神”なのだと
奇しくも、今暮らす家にも石がたくさんあります
前の住人が集めたものですが、なぜだか捨てられず
そのまま私を囲むようにそこにあるのです
岡山という土地の意思、人の人生の記憶…
それらに寄り添いながら暮らすことこそ
私に与えられた使命なのかもしれません
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